2011/05/25

生活と天気。

天気や季節の話が好きだ。
新聞のコラムでも「初々しかった若葉は」とか
「水面から首を出し、心細げに風に吹かれた〜」
などが出てくると、それだけでおおお、となり、
ワクワクとして読んでしまう。
だからと言って天気に詳しいワケでもなく、
雲を見て明日の天気を予想するなんていう
経験からの天気予想すらあやふやだ。
それでもこの話にときめかされるのは、
自分たちが振り回されているというはかなさからか。
それでも、するりと相手に合わせて立っているということが
柔らかく、しなやかで、強いと感じられるからだろう。
それに、そこには生活の香りが漂っている。

うちは職業農家ではないけど、ずっと昔から畑があって、
畑では毎日のように野菜が穫れる。
そこでは水菜やワケギ、ダイコンやレタスなどなどを作っている。
収穫できたものは、隣近所で交換することがほとんどだが、
当然ながら、気温や土の善し悪しによって
葉や実の形や大きさは変わり、だから、天気や季節の話は大切。
「早く雨が降ってくれにゃぁ、こまるぜょ」となる。
雨が降った翌日はシイタケがよく太っている。
雨が降った翌日は、山の上の樹の葉っぱがぐいぐい伸びていることが、
下界からもわかる。(その伸びている様すら目に見えるようだ)
雑草も生え揃うから、仕事に出る前の早朝に草引きをする。
ま、だいたいにして、私は収穫しかしないから(おいしいとこ取り)
あんまり詳しい作業工程を知らないのですが。

庭の樹は、毎日のように顔を変える。
昨日洗濯物を干したときに、
こんなに青くなかったはずなのに…と思うことがほぼ。
そしてまさに昨日の昼にはヤマボウシに白い花が咲いていた。
(白い花…というよりもガクにしか見えないけど)
この季節、少し雨が降れば、
いつもはフサフサのオキナソウのヒゲもペチャンとなる。
普段はフサフサに見えるようにブローしてるオッサンみたいやなーと思う。
今日は晴れ。
(じいちゃん的には「もっと雨が降ってくれたほうがいい」らしいが)
昨日までのジメジメした雨と今日の日当りで、きっとまた、緑が増える。

そういえば。
職業農家の広島のばあちゃんちで米をもらったら、
ばあちゃんが「今年の米はええがにできてないけぇ」と言っていた。
そういうふうに聞いたならば、たしかに毎年の米と比べると
糠がよく出るような気もするが、むしろ余計に、
「おいしくないかもしれない」と期待をしない分、
いつもよりおいしいような錯覚も起こすから不思議だ。

ここにいると、そういうひとつずつを否応なく突きつけられる。
そして、どのコトもつながっているということもよくわかる。

--

ひとくちに二十四節気と言っても、
知名度にはばらつきがある。
立夏、夏至という主役級にはさまれて、
小満と芒種は渋い脇役を思わせる存在だ。
きのうはその小満だった。
「陽気盛んにして万物長じ、
草木が茂り天地に満ち始める頃」と本にある。

今の季節、夏のスピードは速い。
初々しかった若葉はたちまち茂りを濃くし、
緑となって湧き上がる。
田んぼの稲も負けてはいない。
立夏のころ、借りている棚田で田植えをした。
水面から首を出し、心細げに風に吹かれていた苗が、
はや伸び盛りの勢いである。

※天声人語(2011.5.23)より一部抜粋

--

広告用語の「エコ(地球にやさしくそして経済的)」は
生活とは乖離しすぎてどうも好きにはなれないけど、
自然を感じて自然に流されて生きるのはいい。
カラダが浄化され、みなぎっていく身体を実感できるから。

高知に戻ると退屈するかな〜と思っていたのに、
意外とそういう感情が沸かないことに、とても驚いている。
そして、そろそろ梅雨がやってきます。


追記
登録していただけのフェイスブック
(登録だけなら2008年ごろからと異様に早い。
ただ、使っていない)、
タダクマ氏からのメッセージによって
やっと使うことになりそうです。
というか、「この人アナタの友だちじゃないの?」と
渡された一覧の中身が、
「どないして知ったの?」という内容でびっくり。
情報社会、恐るべし。

0 件のコメント: