2011/03/26

オーサカもあと1週間をきりました。

いつものように、野田の駅前のときどき行っていた店のドアを開けると、
突然ながら店の中身が変わっていてびっくりした。
その店は、「なんでもない」という言葉がぴったりと当てはまるというか、
ただ少し、他の店と違うところを言えば、
料理のバリエーションが多く、頼めばなんでも作ってくれるような店だった。
私はそこの、キャベツの千切りにフレンチドレッシングをかけただけの
なんでもないサラダが好きで、
たまにそこへと足が向いたときにはいつも頼んでいた。
古びて茶色くなった壁紙に、
フォークソングやドリカムがループでかかっているような店だ。
それがなくなったことを知ったときに、急にかなしくなってしまった。
通うというほどのことでもなく、
ただ、景色のようにそこにあって、「行った」と言っても、
野田に通った2年ほどの間で10回も行ったかな、という程度のことなのに。

「離れる」ということが自分に置き換えられて、なんだか少し、
連絡しても億劫がられるだけかもと思っていた相手にも、
「高知に帰りますよ」と言わないといけないような気がしたのだった。


大阪に住んでいるのもあと1週間になってしまった。
京都に住んでいた時期も含め、約15年。
高校までを過ごした高知では、
バスケットボールに明け暮れる毎日すぎて世間のことなど知らなさすぎた。
「ものごころ」がついたのがこの大阪という場所だった。

連絡しておかなきゃ、と思って、
多少なりとも自分と関わってくれた人を思った。
そしたら、ランダムに、いろんな人の顔が浮かんでくる。
すれ違っただけの人、とても怒らせてしまって二度と会えなくなった人、
お酒を飲んで楽しかった人、
…そういえば、アルバイト先の常連さんで
近所のうどん屋に連れてってくれた夫婦は元気なんだろうか、
とても仲良くなれそうだと思ったのに
また会うことを期待しながら会えなかった人もいた。
逆に、全然仲良くなれそうじゃないと思った人のほうが
むしろたくさん会っていたような気もするな。
仕事で恐縮した人や、恐縮させてしまった人、
何かを伝えきれずにただ離れてしまった人、
家族のようにとても仲良くなった人、
心配してくれた人、心配をした人、
…ずいぶんとたくさんの人に出会ったもんだなと。
人に会うごと、たくさんのことを考えたように思える。
会った人の分、私は何かをやってきた。
そして、みんな出会ったときからカタチを変えた。
結婚をしたり、子どもを産んだり、その度に、また考えた。
合う・合わない、あるいは、会う・会わないを別として、
それぞれに個性があって、それぞれが立体的に見えたのだった。
きっと、私がこの街からいなくなるということさえ、
また「何かがカタチを変える」というこに他ならない。
いつか「大人になると気づかないまま(@いるか)」、
私たちは変わりゆく景色にふにゃらふにゃらと合わせながら
同じように変化をしていく。

とてもたくさんの人が私のために何度も送別会をしてくれる。
「1〜2年後、気づいたらまたここにいそうやな〜」
「むしろ、『あれ、帰る』って言ってなかった?て、来週とか言ってそう」
「気づいたらまた事務所のソファで寝てるんやろね」
なんて、温かすぎる冗談を交わしていると、
本当にこの場所から去ってしまうことが想像のできない夢物語に思えてくる。
でも、私は去ってしまう。
私の予想では、もう二度とこの街のこの場所に同じカタチで住むことはない。
住んだとしても、それはまたカタチを変えた「何か」でしかないだろう。

もう二度と過ごすことのない時間の中で
私はとてつもなく大きな覚悟をしたようだ。
この覚悟がどう転んだとしても、後悔はしないだろう。
でもきっと、ここで知った喜怒哀楽の心の動きを忘れることはできない。
そんな全てに、泣けてしょうがない。

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