帰るべきか、帰らないべきか。
未だにずっと思っている。
自分はまだ、ここでやり残したことがあるんじゃないか、
もっとやりたいと思っていることがあるんじゃないか。
迷うべきか、突っ走るべきか。
今、まだレールの引けていない、
もしかしたら1冊作ったところで
何も見えてこないかもしれない瀬戸際で、まだ少し悩む。
そんなちっぽけなことで、私はウロウロと足元を探す。
話をしたい、聞いてほしい。
とても寂しがっていること、誰もに知ってもらいたい。
でも、かっこよく進みたいし、颯爽と生きたい。
それは、ずっと変わらない。
もしかしたら、たくさんの言い訳や理由は、
それを作るためにあるのかもしれない。
悲しくて悲しくて。
なんだかとても悲しくて。
今、そうか、もしかしたら
もう二度と同じ場所には戻れないのかもしれないということを
強く強く思って泣けてくる。
出会った人や聞いた話や、本当にどうしようもない些細な出来事、
すれ違ったたくさんのことが愛おしくて仕方がない。
それらが全部沁み入っている。
その自分のカラダが、とても悲しくて愛おしい。
流れる。
行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。
世の中にある人とすみかと、またかくの如し。鴨長明。
流れる。
「水は流れたがって、とっとと走り下りていた。
そのくせとまりたがりもして、
たゆたい、しぶり、淀み、でもまた流れていた。
川には橋がかかっていた。
人は橋が川の流れの上にかけられていることなど頓着なく、
並記で渡って行った。
私もそうした。
橋はなんでもない。
なんでもないけれど橋へかかると、
なぜか心はいつも一瞬ためらって、
川上川下、この岸あの岸と眺めるのだ」
幸田文。
私はここに根はなく、
ふっと離してしまえば果てしなく遠くへと行ってしまいそうで、
自分のことながら、不安で不安で、
もうどこにも居場所がなくなるんじゃないかと悲しくなる。
本当にたくさんのことをここで感じて、
生きていけるように生きてきた。
仕事が少し忙しくて、高知に帰るんだと決めながらも、
ためらうこともなく、そうするんだと他人のように思っていた。
まさに今、「もしかしたら」の話がふとよぎって
一気に感情が押し寄せてきた感じがする。
こういうときに雪が降っていたら、
「なごり雪〜へへへ」なんつって茶化すこともできるのに。
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