事務所は締切り続き、
締切りの合間に打ち合わせや撮影が入り、
炎上状態である。
みなヒィヒィと言っている。
寝不足すぎる御仁が開かない眼で、
それでもビール片手に喘いでいる。
寝不足すぎて顔色が茶色になった御仁が、
うおっうおっと言っている。
もうひとりの若者は、目の下にクマを作り、
「寝てないっすよ〜」と言って
2階のソファに突っ伏したまま動かなくなった。
D社やT社のような印刷会社からの仕事が多いが、
「いやー、このビルだけですよ、こんなに炎上してるのは」
と一旦目ェむいてカハハと笑う。
そんなら他の人のところへ…と言いたいところだが、
このご時世において、クライアントからのご指名でくる仕事は貴重で
仕事をもらうこちら側に思いを切々と伝えられるから断れない。
まったく、ありがたいことである。
それでもボスは家に帰る。
遅くなれば、ボスを愛する奥方から電話がかかってくる。
私もヒマを見つければ家に帰る。
若者も「メシ食いに行ってきますー」と言って
次の日の昼まで帰ってこなかったりする。
みんなそれぞれに自分のペースを守ってやる。
約束が守れて、コミュニケーションが取れるなら、
自分のペースを尊重していいんである。
むしろそのペースが不規則なことに
ブツブツと文句を言ってるんである。
目の前にいる先輩は、仕事がなくなることが不安で
休めるときに休もうとしない。
帰れるのに帰らない。
だから昨日は、先輩が銭湯に行っている間に
他の仕事の作業のために先輩のマックを占拠し、
その代わりに私がいつも寝床にしている、
極上の眠りを約束するソファを
「2時間たったら声かけるから」とウソを言って明け渡し、
朝までぐっすりと眠らせた。
年末にぶっ倒れられて迷惑を被ったことを
私は本気で根に持っている。
なのに目の前で茶色い顔してショボショボの目をこすりながら
陰気くさく仕事されるからたまらない。
ワーカーホリック、とはこのことを言う。
なんだったら、タクシー呼ぶからそれに乗って帰ってくれと思う。
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ドイツの作家、ギュンター・グラスは、
『ブリキの太鼓』などで知られるが、
詩人としてもすごい。
大好きな詩の中に、こんな作品がある。
「三週間後」
旅行から帰って、
玄関の鍵をあけると、
部屋のテーブルの上に、
吸殻がいっぱいの
灰皿がのってた、ーー
こんなことは取りかえしがつかない。
(小沢書店刊/飯吉光夫訳)
僕は、初めてこの詩を読んだとき、
「確かに、こんなこと取り返しがつかないなあ」と可笑しむと同時に、
そもそもこういう独特な状況でしか生まれない“ある独特な思い”を、
こんな短い文章で読者に共有させる仕業に
深い驚嘆の念を抱いた。
満杯の吸殻を放置したまま、
それを意識なく過ごした3週間という時間ーー。
大切なモノを壊したり、決定的な事をし損じたり、
世の中に取り返しようのないことはあまたあれど、
こんな「取り返しのつかないこと」もあるのである。
先日、高校の同窓会から名簿が送られてきた。
過去にも何回か出ていたらしいが、
同窓会には20年程前に一度顔を出しただけで、
その後住所の変更も連絡していなかったので、
それ以来初めてである。
一昨年、母校の文化祭で講演を頼まれ、
その時同期の仲間も幾人か集まってくれて、
そこから交信が復活したのである。
同期は370名程で、名簿は10ページくらいのものであったが、
懐かしい名前が目に飛び込んで来て、
食い入るように見てしまった。
名前の横には、現住所や勤め先、女性は旧姓などが記されている。
「緒方は、中学の先生になったんだ」
「林はやっぱ家を継いで、いやいや医者やってんのかな」
「あの人気ナンバーワンだった三島さんは、
北大に行った後、結婚して今も札幌かあ」と、一行一行飽きない。
徹夜明けであったが、寝る事も忘れて1ページ、1ページめくった。
なにしろ、30年分がその薄い名簿に封じ込められているのである。
名前を辿る濃密な時間が流れ、最後の1ページになった。
あいうえお順の最後の「わ」の項が終わった先に、
こんな欄があった。
「死亡者」ーー僕は思わず、息をのんだ。
そうだ、卒業してから30年も経ったんだ、
370人もいれば、事故や病気で亡くなった者もいるだろう。
僕はすぐに大学1年で進路に悩み、
夏休み前に自殺したMのことを思い出した。
しかし、その死亡者の項にある名前は、
Mだけではなく、他に数人載っていた。
そして、その中に仲の良かったSがいた。
愕然とした。
亡くなった年を見ると、もう長い年月が経っていた。
僕は、その時心の中でこう叫んでいた。
ーーああ、このことは、取り返しようがない。
Sの死が取り返しがつかないことは、
どうしようにも逆らえないことである。
しかし、僕が取り返しようがないと感じたのは、
そのことではない。
それは、Sが当然どこかで生きていることを前提として、
僕自身が生きてきたことである。
別の言い方をすれば、
僕はそのSの存在があるものとした“バランス”で生きていたのだ。
知らずに過ごしてきてしまった長い時間こそ、
僕にとって、もうひとつの取り返しのつかないことであったのだ。
この自分勝手とも言える独特な思いは、
Sへの追悼とかとは異なるものである。
Sは、大きな身体をして小さい声で話す、やさしい奴だった。
その友人の死を知った瞬間、
僕は、長い間寄りかかっていたものが無かったのにも拘わらず、
バランスを崩さずここまで来ていたことに対して、
嘆いてしまったのである。
我々は、自分ではどうにもできない
一方通行の時間の流れに乗っている。
過去に手が届くことはない。
それ故、世の中は途方もなく、
取り返しのつかないことで溢れることになるのだが、
こんな取り返しようもないこともあるのである。
僕は、旅行者が部屋のテーブルの上に見つけた吸殻の山を見て、
その3週間を別の意味を持ってあらためて受けとめたように、
薄い名簿を手にしたまま、
Sのいないこの15年をゆっくりとなぞりはじめた。
※「取り返しがつかない」2002年8月21日
『毎月新聞』(佐藤雅彦著)
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前にも引用したことがあったけど、
先輩(家庭あり)の働き方を見るたびに
この文章を思い出す。
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